目に見えないものの大切さを子どもたちに伝えていく|田島伸二さんインタビュー

広く深く大きな海。小さな島から流された汚染は、海流に乗って世界中へと散っていく。『大亀ガウディの海』で 、大 海に棲む生き物たちが放射能汚染で追われる叫びを描いた、田島伸二さん。出版から20年経った現在、海の状態はさらに深刻な状況になっている。私たちがいま考えなけれ ばならない、海のこと。
私は海がないところに生まれました。まわりを中国山脈に囲まれた広島県の三次というところです。家は農家だったので年中忙しくて旅行に連れていってもらえるなんてことはめったになく、海を見る機会なんてありませんでした。あるとき、近所の友人が「海を見てきた」と話をしてくれました。海は、「すごく広くって、ずーっと向こうに対岸がかすかに見える大きな池のようだった」と。あとでよく考くえてみると、それは瀬戸内海のことだったんですね。小さなころは、この山々の向こうになにがあるんだろうと、ずいぶん想像をめぐらせました。初めて海を見たのは、小学三年生のとき。 海の大きさにも驚かされましたが、なによりも波が寄せてくる力にびっくりしました。恐ろしく、まるで生きもののように生きているとも感じました。海のないところで育ったせいか、自分が知らない海というものに対して、とっても強い憧れがありましたね。
『大亀ガウディの海』という本を書きはじめたのは、もう40年も前。 学生時代に水族館に行ったときのことです。その日は台風でした。外は暗く、お客さんはひとりもいなくて、魚たちはすごくくつろいでいました。人間にいい顔をしなくてもいいですからね。そして、大きな水槽を見ていたら、一頭の大きな海亀が口から泡を出しながら苦しそうにこちらを見ているんです。そこで私も海亀の目を見つめて「どう したんですか」と聞くと「ここから出してくれ」と海亀がいったのです。 家に帰っても大亀のことが気になって、どうやったら水族館から出してあげられるか、大学の図書館にこもってこのお話を書きはじめたんです。自分で書きたいと思って書いたというよりは、海亀に頼まれて書いたような感じですね。
このお話をご存知ない方のために少しあらすじを説明しましょう。 水族館で飼われていた主人公の大亀ガウディは、毎日涙を流して自分の境遇を嘆いていました。「お、おれは海へ帰りたい。海だ。海だ。ほんとうの海へ、今すぐ帰りたい。もうこんな人間の作った水族館には住みたくはない。昔住んでいた海へ帰りたい!」それを聞いた水族館の仲間たちは賛否両論。海は自由で気持ちがいいけれど、弱肉強食の世界の自然は厳しい。しかし、ガウディの決意は固く、うまく仮病を使って仲間の中ブリとともに水族館を飛びだして大きな海へと向かいます。
大海原へ出て自由を獲得したガウディと中ブリ。しかし、自然のようすがおかしい。海の水は息をするたび苦しくなるし、海藻の色も違う。海面には黒い油が 漂い、海底にはゴミがゆらゆらし、いままで見たこともない巨大クラゲも泳いで いる。それでも、遠くの海には必ず希望はあると泳ぎつづけますが、一向に美し い海は現れません。海底には食べるものもなく、お腹が空いたガウディはとうとう仲間の中ブリを食べてしまいます。
たった一頭になったガウディは、汚れた海の中をなおも泳ぎつづけます。すると、人間たちがおこなった核実験により、傷つき、目が見えなくなった海亀の仲間たちに出会いました。実験は何度もおこなわれ、海 に棲む魚、陸の動物、空を飛ぶ鳥たちも重い病気になっていました。そのうち小さな島で、同じ海亀のロッティと出会い、ガウディは恋に落ち ます。ガウディは、病気にかかっているロッティを治したいと思い、ス ーリヤ海には病気を治す生命の樹があると聞き、探しに行く決意をしま す。しかし、周辺の海底では、人間たちによる水素爆弾の実験がおこなわれていて、海底で出会ったタコがつぶやいていました。「いったい人間は、なにを海の底に捨てているんだろう。地上で始末におえなくなったゴミを、毎日あっちこっちの海に捨てて、人間はその結果がどうなるのか知らないのだろうか。見えない世界で恐ろしいことが起きると、い ったん見える世界になったときには、取り返しのつかないことになるから…」。タコの話を聞きながら、ガウディは生命の樹に据えつけられた 爆弾を取り外しに向うのですが…。とまあ、水族館のプールから自然の海に戻った大亀ですが、海は細胞の奥から汚されていて、その中でどうやって海の生物たちが生きていくのか、という環境物語です。
この物語を書くようになったきっかけは、1954年の「第五福竜丸事件」です。当時小学生だった私は、太平洋での核実験でたくさんの漁民が被爆したというニュースに強いショッ クを受けました。広島で原爆体験をよく聞かされて育った私は、その後、水俣病で水銀汚染された魚を食べた猫が病死したり、たくさんの人々が公害で苦しむニュースなどで、日本の環境には大きな異変が起きていることを知りました。チェルノブイリで起きた原発事故や昨年福島で起きた原発事故などにより、いまでは 三陸沖から太平洋にかけて深刻な海洋汚染がつづいています。しかし、中国やインドなどでは原発建設は拡大の一途です。私たちは、これからの時代を生きる子どもたちのために、なにをしなければならないでしょう。
「水に流す」という言葉があります。日 本は古来より「汚いもの、やっかいなものは水に流す」という文化を築い てきました。しかし捨てられた汚水を全部受け止めているのは、海に棲んでいる無数の生きものたちです。水に流したつもりでも、その汚いものをまずプランクトンが食べ、プランクトンを小さな魚が食べ、それをイワシやアジが食べ、それを大型のブリやマグロが食べ、さらに人間たちが 食べていく食物連鎖を繰り返していきます。放射能汚染の濃度はどんどん濃くなっていくばかりで、海水で希釈するなんてことはありません。
自然というのは本来、自ら修復できる不思議な力をもっています。山 に生えている木の葉は落ちると、自然に分解されて土に還り、そしてふたたび養分となって山の木々を育てていく。そして豊かな養分を海へ流しつづけていく。しかし人間は、もとの自然には決して循環できないことをしているのです。
物語の中で知恵者のタコは、目に見えないものがすごく重要だとい います。目に見えないものをおろそかにすると、それが目に見えるようになったときには、もう手遅れだと。目に見えないものの大切さを 子どもたちにどう伝えていくか、いまの時代にとても大切な教えだと私は考えています。
それには、まずよく見えるものから、だんだんと小さなものを見ていく力をつけることです。そして見えない世界が見える世界を支えていることを感動的に学ぶこと。それには私たちの置かれている自然環境の移り変わりをよく観察しなければなりませ ん。観察するときは、ひとつの目だけではなく、科学、生物、地理、物理といった複数の視点で見ていくことです。これまでの地球環境での反省も含めて、小さな 生きものの事実を全体の環境からきちんと子どもたちへ伝える。それが大人の役割だと思います。
私は小さいころ波を見て、海は生きていると感じたといいましたが、海水は、それ自体が生命です。海水は生物と同じよ うに生きていて呼吸をし、汚染されると 微生物は死ぬのです。生きものが無数に 住んでいる海に、放射能を流す文明を築いてはいけない。海の叫びや動物の苦しみに耳を傾けてください。
いまさかんに「絆」が大切だと言われていますが、それは人と人の絆だけではなく、人と目に見えない生物、川や海との絆なども含みます。ふだんから自然をよく観察して、目には見えないものの苦しみや悲しみを想像する力を養うこと。そして、いつまでも子どもたちが気持ちよく泳げ る海や魚たちが心地よく生きられる水の惑星を、永遠に残していかなければならないのです。
 
田島伸二 たじま・しんじ
作家。識字教育専門家。国際識字文化センター代表。1977~1997年、ユネスコ・アジア文化 センターで識字教育を行う。1997年より国際協力機構の専門家としてパキスタンの識字教育のアドバイザー やビルマ教育省で教員研修を行う。著作に『ビックリ星の伝説』、『雲の夢想録』、『さばくのきょうりゅう』な ど。『大亀ガウディの海」は、世界の20言語で翻訳出版されている。
このインタビューは、『mammoth』24号「Our Ocean 命をつなぐ ひとつの海」に掲載されています。text: Keiko Kamijo