ファンタジーの世界を想像することで現実の世界が楽しくなる|角野栄子さんインタビュー

魔法使いの主人公キキが親元を離れて成長し、結婚して双子のお母さんになる、人気シリーズの『魔女の宅急便』や、アッチ、コッチ、ソッチ3人のかわいらしいおばけのお話を描いた『小さなおばけシリーズ』など、たくさんの幼年童話を手がける児童文学作家の角野栄子さん。小さなころから空想好きだった角野さんが考えるファンタジーとは。
 
小さなころに亡くなった母はお盆になると帰ってくる
私がファンタジーの物語を書くのが好きなのは、ここではない別の世界を想像して、心を解放できるから。ファンタジーの世界をつくり、そこに生きている人たちを創造するのがとってもおもしろい。ファンタジーといっても、普通の人が読んだときに自分事に感じられる、そんなリアリティのある物語を書きたいといつも考えています。
小さなころは、ただのお話好きの本好きの女の子でした。自分が物語を書く人になるとは思っていませんでした。5歳になってすぐに母親を亡くしました。死というのは、そばにいた人が突然いなくなってしまうこと。入院していたので、そんなに突然ではなかったかもしれませんけど、目の前のものが急に消えてしまったような衝撃を受けたんです。次第に、死っていうのは本当にその人がいなくなってしまうことなのだろうか、ひょっとしたら他の世界に行っただけなんじゃないかと思うようになったのです。お盆というのは亡くなった人の魂が、家に帰ってくると言われています。それで、家族全員がそろって、玄関の前に並び、お迎え火を焚きます。その煙に乗って仏様が家に帰ってくると、毎回、父は話してくれました。そして、仏様は家で何日か暮らし、また送り火に乗って、見えない世界に帰っていくというのです。
迎え火を焚くときに、父がこんなことを言ました。「魔法使いの主人公キキが親元を離れて成長し、結婚して双子のお母さんになる、人気シリーズの『魔女の宅急便』や、アッチ、コッチ、ソッチ3人のかわいらしいおばけのお話を描いた今年はタンスを動かしましたから、仏様、気をつけてお仏壇に行ってください」「足元にお気をつけください」とかね。子どもたちは目をつぶって手を合わせているんだけど、本当に来るんだって思って、目なんかつぶっていられなくて、半分開けて見たりして。そういう経験が私のなかの根底にあるから、見えない世界っていうのは、絵空事ではなくて、存在として私のなかにあるのです。母がどんな顔をしていたのか、どういう声だったのかという記憶はあまりありません。でもお盆になると、見えないけど母が家にいる。いくら母だって、ちょっと怖いんです。天井の隅を見たり、裏廊下の隅にいるのかなと考えたり、夜トイレになんて怖くてひとりで行けませんでした。母がどこかで見てるだろうって思うから、弟と喧嘩しないようにしようと思ったり。母の死から、さまざまなことを空想したり想像したりしていました。
父は、本人が意図していたかどうかはわかりませんが、暮らしの中で、日頃から私たちに想像するきっかけを与えてくれました。我が家には「しんぶんかんぷん ねこのくそ」っていう呪文があったんです。それは「お父さんに新聞を持ってきてちょうだい」という合言葉です。「チコタン チコタン プイプイ チコタン」もそうです。父は歌うようにして、子どもをかわいく思う気持ちを表したかったのでしょう。この意味のない言葉を口癖のように唱えていました。江戸っ子だったので、落語や歌舞伎が大好きで、そういう言葉のリズムが自然と出てきていたのかもしれませんね。「どんぶらこっこう すっこっこう どんぶらこっこうすっこっこう」 父のあぐらの上で揺られながら、私のなかに、桃太郎の桃はこんな音で流れてきました。父はそんなにたくさんではないけれども、いくつかのお話を繰り返し、独特な節回しで聞かせてくれました。子どもたちは、そんな父のお話を聞くのが大好き。でも、お話をする父は途中で寝てしまったり、用事ができて最後まで話ができなかったりすることがしばしばあって、「続きはまた明日」ということになる。すると私たちは、続きがどうなるのか気になって気になって仕方がありません。待たされて、がっかりしながらも、主人公のこの先の運命を想像したり、こうなったらいいのにと空想したりしました。今から思うと、続きを残して終わる父の話は上手だったなと思います。
 
違う世界を想像すると人は元気になれる
子どものころ、物語を書くことはしませんでしたが、想像することはしょっちゅう。それはなぜかいつも家出物語。母がいなかったから寂しかったんでしょうね。姉と弟がいたのだけど、喧嘩すると泣きながら「こんな家にはいたくない」って思う。すると、空想の家出が始まるのです。家から飛び出した私は、親切な伯父さんと伯母さんに会って「家の子にならない?」と言われて「うん」と言うと、ふたりは大喜びする。それくらいのところで、私の涙は少しずつ止まりはじめ、私の空想は終わり。現実の姉と弟のところへ戻るのです。後になって気づくんですが、違う世界を想像しただけで人は元気になれるということを体感していたんじゃないかと。それがファンタジーの基本。何か問題を抱えてファンタジーの世界に入っていく。そして物語と一緒に自分も歩いて行く。すると、いつの間にか涙は渇き、私は泣き虫なんじゃないんだよと思えるようになり、日常に戻っていく。
今、こうして子どもたちが読む物語を書く仕事をしていると、このような父との豊かなお話の時間は長く続いたように思われるのですが、 ほんの1年足らずのわずかな時間でした。5歳で母が亡くなり、小学校1年生の夏に父が再婚します。そして、9月になると父が戦争に出征し、12月8日に真珠湾攻撃。日本は戦争を始めます。私たちは、まだ2ヶ月くらいしか馴染みのないお母さんと一緒に暮らさねばなりません。でも、父が出征先で重い病気になり帰宅を許されたので、それはほっとしました。しかし、その後も戦争は続き、疎開をしたり、空襲で父の店は焼かれ、父が物語を話してくれる余裕はなくなり、私たちの物語を聞く日々は終わりを告げました。でも、この短い月日は、宝物です。私みたいに、母が早く亡くなったり、父が戦争に行ったり、新しいお母さんができたりと、境遇が変わる子どもは少ないかもしれません。でも、誰にとっても本を読むということは、何よりも変えがたい宝物だと思います。とくに、小さいとき、物語と接することは大切です。自分の経験から、強くそう思うので、私は特に幼年童話に力を入れて書いているのです。
 
本好きな子を育てるには親が読書を楽しめばいい
私が書くファンタジーというのは、まったく違う世界のことではなく、日常から少し離れた世界なのです。日常のなかにおばけや魔女が潜んでいるのです。 そのように、日常と非日常を行ったり来たりすることができる、そういうファンタジーを書きたいと思っています。それは日本の住まいや環境が関係しているのかもしれないと、とあるとき考えました。私の生家は純日本風で、柱の間には不安定なふすましかありませんでした。 長い廊下は庭に向かっていつも開けっ放しで、空気は家も外もなく出たり入ったりしていました。外と内がつながっているような日本的な暮らしでは、すべてのものに等しく命があり、ともに生きているように自然と感じるようになったのでしょう。見えない世界はすぐそばにあるのです。それで木、山、川など、いろいろなものと言葉を交わし、想像力を膨らませながら、暮らしていく。物語もおなじです。読む人は物語の世界に入り、登場人物と言葉を交わしながら、いろいろ想像すると、物語は読む人の物語へと成長していくのです。あなただけの物語が立ち上がっていくのだと思います。そんなふうにして、本を読むことで、ちょっぴり生きる勇気が湧いてくる。そして言葉や考えかたが自分のものになっていくのだと思います。
「家の子が本好きになるにはどうすればいいですか?」とよくお母さんたちから訊かれます。そのときは、いつもこう答えるのです。「お父さん、お母さんが読書を本気で楽しめばいいんですよ」と。すると読書をする時間が自然と家のなかに流れ始める。お子さんは両親が面白そうに読んでいるけど、何に夢中になっているんだろう? と興味が湧くはずです。じゃ、自分も読んでみようかなと、自然となっていく。押しつけたってだめですね。ぜひ、みなさんご自身が、本を開いて、ファンタジーへの扉を開いてください。
角野栄子
児童文学作家。1935年、東京生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、出版社勤務。25歳のときからブラジルに2年間滞在し、その体験をもとにしたノンフィクション『ルイジンニョ少年 —ブラジルをたずねて—』で作家デビュー。その後 『小さなおばけシリーズ』、『魔女の宅急便』、『ラストラン』。『トンネルの森 1945』 など数多くの絵本・児童文学作品がある。
» mammoth No.33 Fantasy Issue | 君の、ファンタジーの扉を開こう!