福田真知子

子育ては世界を変える|深津高子さんインタビュー

子どもの「今」を大切にする。
その積み重ねが自立した人間を作るのです。

 平和は子どもから始まる──二十数年前に出合ったこの言葉に導かれ、幼児教育の現場に身を投じた一人の日本人女性がいます。柔らかい、包み込むような笑顔が印象的な幼児保育アドバイザーの深津高子さん。世界中で行われている「モンテッソーリ教育」の教師として多くの子どもたちの成長を支え、現在はその普及のため世界を駆け回っています。受験に備えた早期教育が広まる日本で、子どもたちに本当に必要な学びは何か。深津さんに聞きました。
──海外でボランティア活動をしているときにモンテッソーリ教育に出合ったとか。
 はい。二十代のころはタイのインドシナ難民キャンプで、ラオスからメキシコ河を泳いで逃げてきた人々に日本語を教えていました。ただ当時(80年代初頭)、日本は難民の受け入れに積極的でなく、また日本に行けたとしても、その目の回るような社会のスピードについて行けず病気になる人も出たりして、自分の仕事にだんだんと疑問が生じ始めました。
ボランティアで訪れた難民キャンプで出合った
モンテッソーリ教育

 さらに物資援助のやり方によっては難民の依存心を高め、難民を逆に増やしているのではという矛盾にも悩み、もう活動を辞めようかと思い始めたりして……。援助とはどうあるべきかを模索しながら、いろいろなキャンプを見てまわる中で、モンテッソーリ教育を実施する保育園を訪れる機会があったのです。
──どんな保育園だったのでしょうか。
 「希望の家」と名づけられた園で、カンボジア国境に近く、ポル・ポト政権の圧政から逃れてきた難民の子どもたちが通っていました。そこの代表に、どうしたら紛争を無くせるのか、真に必要な援助とは何かと私の悩みを打ち明けたら、「深津さん、平和は子どもから始まるのよ」と一言。そう言われても最初は全く意味が分からず、でも不思議にずっと頭の中をこの言葉が渦巻き続けたんです。自分でも「なぜだろう?」と、モンテッソーリに関する本を読んだりするうちに、これは本格的に勉強してみようかと思ったわけです。
──そして帰国して、モンテッソーリの教師の国際ライセンスを取得されました。深津さんにとって何が魅力だったのですか?
 最初、都内のあるモンテッソーリ園を見学に行ったことが強烈な印象として残っています。二歳から六歳までの園児が部屋にいるのですが、そこに何をするか指示する先生はいないんです。ある子はお絵かきをし、ある子は野菜を包丁で切り、銘々が好きなことをしている。喧嘩があれば年長の子が仲裁に入って場を収めるし、障がいのある子には皆ができない部分を協力する。大人が指示を出さずとも、子どもが自分たちで考え、仲良くクラスを運営しているんです。「何これ!?」とまさに目から鱗。これがモンテッソーリ教育だと聞き、感動しました。
──確かに普通の保育園や幼稚園とイメージが違いますね。モンテッソーリとは、そもそもどういう教育方法なのでしょう。
 モンテッソーリの特徴は「子どもの命が育つ手伝いをする」ことなんです。百年も前にイタリアの医師、マリア・モンテッソーリが発見した発達の法則に基づき、子どもをよく観察して、その時々に必要な環境を大人が整えるのです。すると子どもは自発的に活動を選んで試行錯誤し、失敗や成功を経て自信を身につけていく。また異年令で生活するうちに他者を思いやる社会性も発達していきます。この学びのサイクルは、幼児期だけでなく生涯続くものでもあるんですよ。
──「その時々に必要な環境」とは?
 モンテッソーリ教育では、何かに特に興味を持ったり、繰り返したりする時期を「敏感期」と呼び、子どもの成長にとても重要と考えます。例えば、家庭で親子それぞれに席が決まっているのに、来客をお父さんの席に座らせると、世界中の二才前後の子どもは嫌がり、「そこはダメ!」とべそをかいたり怒り出したりする子どもさえいます。これは環境の「あるべき秩序」が乱され、それに対して抗議しているのです。生理的に受け入れられないのです。敏感期は一生続くものではありません。なるべくこの時期は「いつものやり方」を尊重し、生活のリズムや流れを大きく変えないことが安心感をもたらすのです。大人が「こうして欲しい」からではなく、一人一人の子どもの敏感期をとらえ、そのニーズに合った環境を提供する。これがモンテッソーリ教育の重要なポイントです。
──すると、流行りの「お受験」教育とは違いますね。
 ええ、中にはモンテッソーリを英才教育に利用し、受験のための準備として取り入れる方がいて、とても残念です。大人は子どもにとっては絶対的な権力者。子どもは環境を選べないのだということを大人は肝に銘じなければいけません。
 私が出会った親の話ですが、お母さんがデザイナーで、毎日素敵なコーディネートの服を着ている女の子がいました。でも、その子はというと、いつも表情がハッピーじゃない。聞くといままですべて親が服をアレンジし、子どもには選べないだろうということでした。そこでお母さんに「一週間だけ好きに服を選ばせてあげてほしい」と提案しました。翌日、その女の子は左右違う靴下で、ズボンとスカートを重ね着した奇妙な格好で登園してきました。でも「私、自分で着たの!」と輝くような笑顔。とても嬉しくなりました。
──お母さんの要求どおりに生き、自己選択をさせてもらえなかったんですね。 
 ネガティブなメッセージを大人が発すれば、子どもはそのまま受け止めます。「無理」と言われれば自信をなくします。ですから「失敗はお友達」と私はよく子どもに言います。成長につながる大切な経験ですから。そして、子どもが失敗しても決して笑わないことも大切です。
──今の若い世代は失敗を恐れる人が多いと言われます。
 やはり、子どものころから自己選択をして、何かに集中して達成するプロセスがないからだと思います。大人が先回りして、「あれをしなさい」「これはダメ」では、失敗は恥ずかしいものと刷り込まれるのは当然です。大人が子どもを信じ自由を与えれば、子どもは自らの五感を信頼して生きることができるようになります。その女の子のお母さんは、何年か後に「あれが私たち親子のターニングポイントになりました」と言ってくださいました。とても嬉しい思い出です。
卒園児に共通するのは「器用」、「集中力」そして「マイペース」
──卒園児の成長ぶりを見るのも楽しみですね。
 二百人以上を送り出しましたが、最初のころの園児はもう社会人や大学生。以前、モンテッソーリの教育を受けた子がどんな大人になっているか知りたくて、卒園児の保護者にアンケートを取ったことがあるんです。そうすると、共通していた答えが「手先が器用」と「集中力がある」、そして「マイペース」。どれもモンテッソーリ教育の真髄が表れていましたから喜ばしいことでした。
──どういうことでしょう。
 モンテッソーリでは、幼い頃から子どものサイズに合わせたハサミや包丁、食器といった道具類を、興味と発達に合わせて使わせますから、手先が器用になるはずです。好きなことは繰り返し上達するよう見守りますから、集中力も身につきますよね。そして、失敗を恐れませんから競争相手は他人ではなく常に自分。マイペースですから他者のニーズもきちんと尊重します。子どもの「今」を大切にしてあげることの積み重ねが、自立した人間を作るのです。私はこういう育ち方をした人が増えれば、世の中はもっと平和になると考えます。
──それが「平和は子どもから始まる」ということですか。
 ええ。教師になって十一年目のころ、私はよく「ああ、今日も仕事にあぶれてしまった」とイスに座って子どもたちを眺めていたんです。違う年代の子どもたちが一つのクラスで、それぞれに好きなことをし、必要があれば協力し合い、本当に困ったときだけ大人のもとにやってくる。まるでそこは、穏やかで成熟した人間たちだけが作れる共同体。「これこそ平和だなあ」と、モンテッソーリ教育の思想を実感できました。

子どもが変われば、保護者が変わり、
それが地域、国、世界の変化につながる

──残念ながら大人には真似できませんね。
 大人はそこまで進化していないのかもしれません。子どもを見ていて感心するのは、例えばお菓子を出せば自ら数えて、みんなに分けると計算しますし、障がいのある子がいれば「ボランティア」なんて考えずにさっと手を差し伸べます。人間は本当は協力的で平和な生き物なんですね。争いごと、まして戦争が好きで生まれる赤ちゃんはいない。もし子どもに何か問題があるとすれば、それは大人によって歪められたと考えるべきでしょう。
──園を辞められて、今はモンテッソーリ教育を広めるために尽力されています。
 保育園などで講演をしたり、九月からは富山の宇奈月で教師のトレーニングコースも始まりました。また、ピースボートで船内にモンテッソーリ子どもの家を作り、子どもたちの旅のお手伝いもしています。今、関心があるのは幼児教育だけでなく、モンテッソーリの思想をもっと違う分野に応用したいと思っているんです。必要な援助を手伝い過ぎないようにするというのは、病人や老人など介護にも応用できる考え方でしょう。一人一人が自立してゆるやかにつながるという在り方は、コミュニティ作りにも役立つはずです。
 私のパートナーが東京・国分寺でカフェ(*)を運営しているのですが、そこを中心に、みんなが安心して暮らせるコミュニティを作れたらというのが今の夢です。子どもが変われば保護者が変わり、それが地域、国、世界の変化へ結びついていくと信じています。まずは自分の住処の足元から変えて行けたらと考えています。
*カフェスロー 深津さんのパートナー吉岡淳さんが代表を務める。地球に負荷をかけず、ゆるやかに人と人とがつながることをコンセプトにしたカフェ。 http://cafeslow.com
深津高子 ふかつ・たかこ
オランダにある国際モンテッソーリ協会元理事、幼児保育アドバイザー
大阪生まれ。父親の仕事のため10代から20代にかけてをニューヨークで過ごす。グラフィックデザイナーとして商品パッケージデザインなどを手がけていたが、品質よりも「売れればよい」という企業の姿勢に疑問を感じ、語学教師に転身。1981年からインドシナ難民支援のため東南アジアに渡り、その活動の中でモンテッソーリ教育に出合う。帰国後、国際モンテッソーリ教師の資格を得て、東京・府中のモンテッソーリ園に勤務。現在は全国の保育園や幼稚園に出向き、子どもの視点に立った学びの環境作りを提案している。
http://ecollage.sakura.ne.jp
モンテッソーリ教育とは
1900年代初頭にイタリア初の女性医師、マリア・モンテッソーリ(1870〜1952年)が提唱した子どもを中心とした教育方法。普遍的な発達の段階や敏感期を見逃さず、子どもに寄り添った環境を整えることで、子どもの能力を自然に成長させる。2〜6歳の子どもの家では、掃除や洗濯といった日常生活の練習、五感を活動させるための特別な教具を使った感覚教育、言語や数教育、そして自己表現などの領域が準備されている。
取材・文:國保 環
※このインタビューはmammoth No.21に掲載されています。